部署ごとに分断される相談記録と、複合的な課題への気づき

自治体の福祉の現場では、介護や子育て、生活困窮など、ひとつの世帯が複数の課題を抱えるケースが増加していると指摘されています。しかし多くの組織では、制度や所管部署ごとに窓口が分かれており、過去の記録や他部署での対応履歴が別々の台帳・システムに蓄積されがちです。部署ごとに記録が分断されていれば、来談者や顧客が抱える複合的な背景をひとつの窓口だけで把握しにくくなる問題は、民間企業においても起こり得ます。

その結果、担当者が目の前の相談に対応するだけで手一杯になり、世帯全体が抱える複合的な背景に気づくまでに時間がかかったり、他部署との連絡や手作業での突合に大きな負担が生じたりするという構造的な課題が存在します。令和8年度ひろしまAIサンドボックス事業補助金の採択結果では、バレットグループ株式会社と江田島市による取り組みが採択され、その後江田島市と福祉支援を支えるAI実証を開始した発表において、福祉部門に分散する文書や相談記録を整理し職員の判断を支援する構想が示されました。

江田島市で進む実証――「気づく」と「つなぐ」の2段階アプローチ

海岸の写真を背景に、江田島市での福祉支援AI実証が実データ検証へ進む旨が記されたバレットグループの公式告知画像
引用元:バレットグループ

2026年8月27日の江田島市の福祉支援AI実証に関する発表によると、江田島市とバレットグループ株式会社は秘密保持契約を締結し、住民情報を含む実データを用いた検証体制を整えて実証を本格化させています。これは2026年10月をひとつの区切りとして来年度以降の本格導入に向けた判断材料をまとめる取り組みであり、現時点で本格導入が完了しているわけではありません。

この取り組みで注目すべき点は、支援の可否や制度適用の最終決定をAIに委ねるのではなく、職員の気づきと連携を後押しする道具として位置づけていることです。実証は大きく2つの段階で設計されています。第1段階は、複数の課にまたがる支援が必要な相談者について各課の関わりに早く気づく仕組みの検証です。第2段階では、得られた気づきをもとに他課との情報共有や連携を手間をかけずに進める仕組みを検証しています。

現場の職員が実際に操作する画面の設計と検証が進められていますが、既存の業務フローを大きく変えずに導入することを目指している点も現実的です。この取り組みでは、分散した文書や相談記録を安全に整理・活用し、職員の気づきや判断、庁内での連携を支援することに焦点が当てられています。

名寄せの落とし穴と、原記録の権限を守る設計

分散した相談記録をつなぐ際に、最も慎重にならなければならないのが「誰の記録と誰の記録を同一視するか」という名寄せの判断と、個人情報の保護です。

例えば、子育て支援の窓口に相談に来られた方の記録に対して、AIが「以前、別の窓口で相談履歴があります」と候補を出したとします。このとき、同姓同名であることや住所の類似性だけで機械的に世帯や個人を同一人物と確定してしまうと、重大な誤認識や誤共有につながる恐れがあります。漢字の表記揺れや家族関係の変化もあるため、一致の確度はあくまで参考情報にとどめ、最終的な確認は人間が行わなければなりません。

さらに、相談記録には極めて機微なプライバシーが含まれます。ある部署で聴き取った詳細な生活状況や相談記録の全文を、連携の可能性があるという理由だけで他部署へ安易に開示することは避けるべきです。デノフでは、個人情報の利用目的や共有の可否について制度や組織上の確認を行うことを前提に、段階的な権限管理を設計することが重要だと考えています。全文の閲覧権限がない部署に対しては、記録の存在通知や関連部署候補の提示であっても用途と共有範囲が認められているかを確認した上で行い、必要に応じて正式な手続きや本人の同意のもとで情報照会を行うといった設計が求められます。

デノフでは、このような業務にAIを組み込む場合、次のような責任分界と画面設計の原則が重要になると考えています。まず、各部署で入力された原記録の出典と閲覧権限を厳格に保持すること。次に、AIは確定的な判断ではなく、関連の可能性がある過去履歴や連携先部署の「確認候補」を提示する役割に徹すること。そして、その候補をもとに職員が文脈を確かめて連携の要否を判断し、正式な引渡しや対応履歴を記録として残すことです。AIが判断を下すのではなく、人間が責任を持って判断するための補助線を引く設計が求められます。

中小企業のアフターサービスや複数窓口にも通じる課題

部署をまたいだ相談記録の分断と連携の難しさは、自治体の福祉分野に限った話ではなく、民間の中小企業における顧客対応やアフターサービスを考える上でも通じる視点です。複数の窓口や部署がそれぞれ記録を管理している場合、組織間の情報共有において似た課題が生じる可能性があります。

例えば、製品の問い合わせ窓口、営業担当者、現場の保守メンテナンスチームがそれぞれ異なるツールや日報で顧客の声を管理しているケースを考えてみます。お客様が以前から不具合や要望を営業に伝えていたにもかかわらず、サポート窓口にその履歴が共有されていなければ、通り一遍の初期対応をしてしまい顧客の不信感を招くといった事態が起こり得ます。

ここでも、すべての問い合わせ履歴をひとつの巨大なデータベースに統合して全社員に開放することが常に正解とは限りません。営業機密や個別契約の条件など、共有範囲を限定すべき情報も存在します。必要なのは、過去に類似のトラブルや取引履歴があることへの「気づき」を担当者に促し、適切な部署へスムーズに相談や引渡しをつなげる仕組みです。福祉の現場で模索されている「気づく」と「つなぐ」の2段階アプローチは、民間企業の顧客管理や保守体制の改善にもそのまま応用できる普遍的な視点といえます。

まずは匿名や架空のデータから小さく検証を始める

業務改善のためにAI導入を検討する際、いきなり本番環境のデータベースを接続したり、個人情報を含む実データを投入したりすることは避けるべきです。江田島市の実証でも、段階を踏んで秘密保持体制を固めた上で実データ検証に進んでいるように、準備と合意のプロセスが欠かせません。

自社で取り組む場合は、まず過去の問い合わせや相談のパターンを模した架空データや、個人情報を完全に除外したテストデータを用意し、試作画面で操作感を検証することをおすすめします。画面上で提示される候補が実際の業務感覚と合っているか、誤った紐付けがどの程度混ざるか、担当者が確認にかける時間は手作業と比べてどう変わるかといった点を観察します。また、引渡しの依頼を出した後に対応が放置されないかなど、運用上の滞留が起きないかも確かめる必要があります。

こうした机上での検証を通じて、手作業と比べた確認負担の軽減度合いや例外的なケースへの対処手順が確認できて初めて、関係部署や関係者との合意を得て実際のデータを用いた検証へと進むことができます。標準的なツールの設定だけで賄える範囲と、既存システムとの連携や個別の画面構築が必要な範囲をあらかじめ切り分けておくことも、無理のない進行には欠かせません。

デノフで整理できること

株式会社デノフでは、業務システムやWebアプリケーションの開発、生成AIを活用した業務改善支援を行っています。分散した記録の整理や部署間の情報共有に課題を感じておられる企業や団体に対して、業務整理の段階からご相談を承っています。

相談の場では、どのような入力資料や相談記録が存在するのか、現在利用している基幹システムや業務ツールとどのように接続できるか、そして何より現場の担当者がどの段階で確認を行い、どのような権限で引き渡しを行うかという具体的な運用フローを整理します。江田島市の実証のように、自動化そのものを目的にするのではなく、人の判断を助け業務の安全性と効率を両立させるための初期検証範囲を一緒に具体化していきます。